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長崎地方裁判所 昭和29年(ワ)553号 判決

判  決

長崎県南松浦郡若松町間伏郷四一五番地

原告

山口丑之助

右訴訟代理人弁護士

古賀野茂見

同県同郡同町

被告

日島村

右代表者村長

白石正光

ほか一八名

以上被告一九名訴訟代理人弁護士

中村達

同(ただし、昭和二九年(ワ)第五五三号事件のみ)

高良一男

同県同郡同町間伏郷間伏

被告

山口ヒデ

ほか一名

右被告二名訴訟代理人弁護士

中村達

右当事者間(ただし、被告浜原杢太郎を除く。)の昭和二九年(ワ)第五五三号所有権確認、所有権移転登記手続履行並に損害賠償請求事件ならびに右原告と被告山村寿美衛、同山口義美、同山口熊三郎、同太田豊、同太田村次、同吉村伊佐夫、同浜原杢太郎間の昭和三二年(ワ)第一〇一号損害賠償請求事件について、当裁判所は、つぎのとおり判決する。

主文

一、昭和二九年(ワ)第五五三号事件について、

(一)  原告と被告らとの間において原告が別紙物件目録および同目録添付図面表示の各土地につき地上権を有すること、ならびに右各土地上の立木は、すべて原告の所有であることを確認する。

(二)  原告のその余の請求を棄却する。

二、昭和三二年(ワ)第一〇一号事件について、

(一)  被告山村寿美衛、同山口義美同山口熊三郎、同太田豊、同太田村次、同吉村伊佐夫は、原告に対し、各自九四、七五〇円およびこれに対する昭和三二年四月九日から右支払いずみに至るまで、年五分の割合による金銭を支払え。

(二)  原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、原告と被告ら(ただし、被告浜原杢太郎を除く。)との間においては、原告に生じた費用の七分の一を同被告ら、七分の三を被告山村寿美衛、同山口義美、同山口熊三郎同太田豊、同太田村次、同吉村伊佐夫の各連帯負担、その余を原告の負担とし、その余に生じた費用は各自の負担とし、原告と被告浜原杢太郎との間においては、全部原告の負担とする。

四、この判決の第二項(一)は、原告において各被告に対し、三〇、〇〇〇円の担保を供するときは、その被告に対し、かりにこれを執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、昭和二九年(ワ)第五五三号所有権確認、所有権移転登記手続履行並に損害賠償請求事件(以下単に昭和二九年(ワ)第五五三号事件と略称する。)について、「原告が別紙物件目録および同目録添付図面表示の各土地につき地上権を有することならびに右土地上の立木は原告の所有であることを確認する。被告日島村は、原告のために右各土地につき地上権の設定登記手続を履行すること。被告日島村を除くその余の被告らは、原告に対し、連帯して二〇二、二二八円およびこれに対する本件訴状達の日の翌日から右支払いずみまで、年五分の割合による金銭を支払うこと。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決ならびに右金銭支払部分につき担保を条件とする仮執行の宣言、昭和三二年(ワ)第一〇一号損害賠償請求事件(以下単に昭和三二年(ワ)日一〇一号事件と略称する。)について、「被告らは、原告に対し、連帯して九四、七五〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日から右支払いずみに至るまで、年五分の割合による金銭を支払うこと、訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決ならびに担保を条件とする仮執行の宜言を求め、右両事件の請求原因として、つぎのとおり陳述した。

一、別紙物件目録および同目録添付図面表示の各土地(以下単に本件各土地と略称する。)は、被告日島村(昭和三一年九月二五日若松村と合併して若松町となつた。)の所有である。すなわち本件各土地は、その周囲の土地と共に、もと被告日島村内の一部落(大字)たる間伏郷の所有であつたが、部落所有が法律上認められなくなつた結果、被告日島村の所有に属することとものである。したがつて、本件各土地が登記簿上右間伐郷の所有名義となつていても、間伏郷には法人格がないので、当然右郷の所属する地方公共団体たる被告日島村の所有名義に変更さるべきである。

二、原告の玄祖父山口茂衛門は、文政六年一月一一日死亡したが、その生前において、前記間伏郷内の部落の税金を代納した代償として、本件各土地を立木(杉、檜、松等)所有の目的をもつて、無料でかつ半永久的に専用することを右部落民より許され、右慣習上の地上権というべき権利は、右玄祖父から曾祖父山口好兵衛、祖父山口亀蔵、父山口初蔵を経て原告へと順次家督相続により承継されてきたものである。なお、右のごとく、右地上権は、民法施行前に設定されたものであり、民法施行後において当事者間で存続期間につき特別の定めをしていないが、右のような事例は、原告居住の地域に多数存在するものであつて、そのいずれもが、立木を伐採すれば引き続き植林してその地盤の使用を許されることを慣習としているものである。

三、そして、右地上権に基いて、右原告の祖先から原告に至るまで、代々本件各土地上に杉、檜、松等を植えつけ、順次その所有権を家督相続により承継してきたのであるから、本件各土地上に現存する立木(杉、檜、松等)は、すべて原告の所有に属するものである。

四、かりに、以上の主張が理由なしとするも、原告は、大正八年四月五日、父山口初蔵の家督を相続して、本件各土地上の地上権を取得して以来、現在まで引き続き所有の意思をもつて平穏かつ公然に本件各土地上の立木(杉、檜、松等)を占有管理し、かつ右立木の所有を目的として本件各土地を占有使用し、地上権を行使してきたものである。したがつて、右占有継続期間内の昭和九年一月一日より二〇年後の昭和二八年一二月三一日の経過により、原告は、本件各土地上の立木の所有権および右各土地につき地上権を時効により取得した。

五、しかるに、被告ら(ただし、被告浜原杢太郎を除く。)は、原告の本件各土地の地上権および立木の所有権を否認するので、原告は、右被告らとの間で、原告が本件各土地につき地上権を有することおよび本件各土地上の立木がすべて原告の所有であることの確認を求め。かつ被告日島村に対し、本件各土地につき原告のため地上権設定登記手続をすることを求める。

六、つぎに、被告ら(ただし、被告日島村、同浜原杢太郎を除く。)は、昭和二九年一〇月一〇日頃、本件各土地上に存在する立木が原告の所有であることを知りながら、原告に無断でその伐採を協議決定した上、この決定に基き被告山村寿美衛外一一名余が同月二〇日、本件各土地のうち別紙物件目録第二の土地一反歩内の杉立木一六三本を盗伐した。そして、右被告らは、右伐採木を搬出した上、昭和三〇年七月四日、当裁判所に対し原告を相手方とする処分禁止の仮処分申請をし、同月六日、これを認容する旨の決定を得て右伐採木を執行吏に保管せしめ、さらに同年一一月二日、当裁判所に対し右伐採木の換価命令申立をし、その旨の命令を得て右執行吏をしてこれを競売処分に付せしめた。

しかして、右盗伐の上競売処分に付された杉は、すくなくとも一五五・五六石を下らず、その時価は石当り一、三〇〇円であるから、原告は、右被告らの共同不法行為により、右杉代金合計二〇二、二二八円の損害を蒙つた。

よつて、原告は、右被告らに対し、右損害およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日から右支払いずみに至るまで、民法の定める年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。(以上昭和二九年(ワ)第五五三号事件関係)

七、さらに、被告山村寿美衛、同山口熊三郎、同太田豊、同太田村次、同吉村伊佐夫、同浜原杢太郎は、昭和三二年二月一七日頃、本件各土地のうち別紙物件目録第三の土地三畝歩内の杉立木が原告の所有であることを知りながら、共謀の上、原告に無断で右杉立木のうち三三本を仗採していずこかへ搬出した。しかして、右伐採搬出された杉は、すくなくとも四七石を下らず、そのうち、二四本(二九石)は健全木であつて時価は石当り二、一五〇円であり、九本(一八石)は風倒木であつて時価は石当り一、八〇〇円であるから、原告は、右被告らの共同不法行為により、右伐採搬出にかかる杉代金合計九四、七五〇円の損害を豪つた。

よつて、原告は、右被告らに対し、右損害額およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日から右支払いずみに至るまで、民法の定める年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。(以上昭和三二年(ワ)第一〇一号事件関係)

なお、原告訴訟代理人は、「昭和二九年(ワ)第五五三号事件の被告ら主張の抗弁事実のうち、伐採木の競売代金、執行費用、供託金額、日付が同被告ら主張のとおりであることは認める。」と答弁した。

被告ら訴訟代理人は、昭和二九年(ワ)第五五三号事件および昭和三二年(ワ)第一〇一号事件について、いずれも「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、答弁および抗弁として、つぎのとおり陳述した。

一、原告主張の請求原因第一項の事実のうち、本件各土地が被告日島村の所有であることは否認する。本件各土地は、その上に存在する立木と共に、原告および被告らの一部を含む日島村間伏郷間伏部落民の総有に属するものである。すなわち、本件各土地は、その周辺の土地に共に、昔時藩主より間伏郷滝ケ原および同郷石司部落民に与えられ、その後紛争を経て大正七年七月一三日、間伏郷内の全部落(間伏、滝ケ原、石司、筒の浦、鵜の瀬、堤の六部落)間の協定により、右各土地に関する権利が同郷間伏部落民に帰属することとなつたのである。もとより、右各土地に関する権利とは、単なる入会権ではなく、所有権を含む一切の権利を意味するものである。したがつて、本件各土地上の立木も原告および被告らの一部を含む間伏郷間伏部落民の総有に属し、同部落民においてその使用収益、処分の権利を有するものである。

二、原告主張の請求原因第二、三項の事実のうち、原告の玄祖父山口茂衛門が間伏郷内の部落の税金を代納した代償として、本件各土地に右部落民より地上権の設定を受け、以後原告に至るまで代々本件各土地に植林してきたことは、すべて否認する。

三、かりに、原告主張のごとく、その玄祖父において本件各土地につき地上権を取得したとしても、その地上権は、おそらく間伏郷滝ケ原および同郷石司部落民に対する権利であろうから、前記のごとく大正七年七月一三日に本件各土地上の一切の権利を右滝ケ原および石司部落民より譲り受けた被告らの一部を含む間伏郷間伏部落民には、右地上権の設定登記なくしてこれを対抗し得ないし、また右地上権は、民法施行前に成立したものであるから、民法施行法第四四条により、立木伐採期までしか存続しないとされているところ、右伐採期はすでに到来しているものである。

四、原告主張の請求原因第四項の事実は否認する。

五、原告主張の請求原因第六項の事実のうち、被告山村寿美衛外一一名余が昭和二九年一〇月二〇日、本件各士地のうち別紙物件目録第二の土地一反歩内の杉立木一〇〇本位を伐採したこと、被告ら(ただし、被告日島村、同浜原杢太郎を除く。)が原告主張のごとく右伐採木につき仮処分決定および換価命令を得て、執行吏をして競売処分に付せしめたことは認めるが、その余のことは否認する。なお、右伐採木の競売代金は二一三、六〇〇円であり、その執行費用は四、四九四円であるので、右代金から費用を控除した二〇九、一〇九、一〇六円が昭和三一年三月一九日付で供託されている。

六、原告主張の請求原因第七項の事実は、すべて否認する。すなわち、本件各土地上の立木は、前記のごとくすべて原告および被告らの一部を含む間伏郷間伏部落民の総有に属するところ、本件各土地のうち別紙物件目録第三の土地三畝歩内の杉立木三〇本余りが、昭和三一年九月の第一二号台風により倒れ風雨にさらされていたので、早急にこれを処分するのが得策であるとして、右間伏部落総会の決議をもつて同年一〇月二四日に公売入札に付し、被告浜原杢太郎がこれを三五、五〇〇円で落札したものである。なお、右総会の開催については、部落民たる原告にも前以てその旨通知したが、原告において出席しなかつたものである。

証拠(省略)

理由

一、まず、本件各土地につき原告の玄祖父山口茂衛門が杉、檜、松等の立木所有を目的とする地上権を取得したかどうかの点(本件各土地の所有権が被告日島村に属するか否かの点はしばらくおく。)について判断するに、(証拠)を綜合すれば、原告の玄祖父山口茂衛門は、文政六年一月一一日に死亡したが、その生前において、日島村間伏郷滝ケ原および同郷石司部落民の税金を代納した代償として、当時右両部落民が使用収益権を有していた本件各土地を杉等の立木所有の目的をもつて専用することを、右両部落民より許されたものであると、原告家では言い伝えられていることが認められるけれども、他方、(証拠)によれば、明治三九年一〇月当時、前記滝ケ原および石司部落は、その所有山林にかかる税金を他の部落民より納付して貰つた例はないといわれていたことが窺われるのであり、また、(証拠)に弁論の全趣旨を綜合すれば明治三〇年頃、当時前記滝ケ原および石司部落民が使用収益権を有していた本件各土地周辺の土地上に無断で杉を植えつけていた訴外山口吉五郎らは、その非を認めて右両部落民惣代に対し、「誤書」および「証」と題する書面を差し入れたが、右書面差入者の中に原告の祖先は含まれていないことが認められ、かつ検証の結果によれば、本件各土地の一部には樹令一七〇年位の杉の大木が存在していることが明らかであるけれども、右杉の大木の植栽者を確認することはできず、また前記明治三〇年頃、原告の祖先が本件各土地上に他より確認できる程度の杉等の立木を所有していたこともこれを認めるに足る証拠がない。

してみれば、前認定の原告家における言伝えの存在および訴外山口吉五郎らが「誤書」等を差し入れた事実を綜合しても、いまだ原告の玄祖父山口茂衛門が他部落民の税金を代納した代償として、本件各土地につき杉等の立木所有を目的とする地上権を取得した事実を認めるに十分でなく、さらに(証拠)によれば、大正一三年頃、被告山村寿美衛の父山村栄太郎がその所有船日新丸修理のため本件各土地上の杉立木を伐採したので、原告においてこれを盗伐として警察に告訴した結果、訴外松園祥吉らの仲裁により、右太郎から原告に対し、示談金四〇円位を支払つたことが認められる(中略)けれども、この事実を前認定の二つの事実に綜合しても、前記地上権取得の事実を確認するに足らず、他に右事実を確認するに足る証拠はない。

二、そこでつぎに、原告が本件各土地につき地上権、土地上の立木につき所有権をそれぞれ時効によつて取得したかどうかの点について判断するに、(証拠)を綜合すれば、つぎの各事実が認められる。

(1)  原告は、一三、四才の頃から父山口初蔵に連れられて本件各土地に赴き、杉を植えつけたりその手入れをしていたこと。

(2)  原告は、大正八年四月五日、右山口初蔵の家督を相続したこと。

(3)  爾来、原告は、当時本件各土地上に存在した杉等すべての立木を自己の所有として、時折右土地に赴いては下刈り等してその手入れをしていたが、昭和三年頃、右各土地上に自ら杉および檜を植えつけ、従来どおり手入れを続けたこと。

(4)  原告は、右のように自ら杉等を植えつけてからは、その地盤たる本件各土地を右杉等の立木を所有する目的で排他的に使用する意思を有していたこと。

(5)  本件各土地の一部は、人道の近くにある関係もあつて、前記間伏部落その他附近の部落民の大部分は、原告が本件各土地を右のようにして使用していることを知つていたが、誰一人として異議を申し出たことなく、また昭和二四年頃には、原告がその所有船山祐丸修理のため、訴外生田徳三郎らに依頼して右各土地上の杉立木を四五石伐採したことさえあつたが、他から苦情はでなかつたこと。

(6)  また原告自身も他人にはばかることなく、昭和二九年に原告と被告らの一部との間で本件各土地上の立木の所有権につき争いが生ずるまで、右各土地およびその地上の立木を自己のために占有管理してきたこと。

なお、(中略)他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、本件各土地が原告またはその祖先の所有でないことは当事者間に争いがなく、原告またはその祖先が前認定のごとく本件各土地に杉等を植えつけたことが正当な権原に基くものであることはこれを認めがたいので、右植えつけられた杉等の所有権は、植えつけられると同時に本件各土地の所有権に附合したものというべきであるが、前認定の事実によれば、原告は、おそくとも昭和三年頃に本件各土地に杉および檜を植えつけて以来、右各土地上に従前から存立していた杉等の立木を含めて、これら成長する立木を所有の意思をもち、かつその地盤たる右各土地を右立木所有の目的で排他的に使用する意思をもつて、平穏かつ公然と占有を継続したものということができるので、その間本件各土地の登記簿上の所有名義に変更のないこと後記認定のとおりである以上、原告は、右昭和三年頃からおそくとも二〇年を経過した昭和二三年末頃には、当時本件各土地上に存在した杉等すべての立木の所有権および右各土地の排他的使用権についての取得時効が完成し、右昭和三年頃にさかのぼつて右各権利を取得したものというべきである。しかして、原告の右各土地の排他的使用権は、前認定の事実より判断すれば、民法第二六五条の定める竹木所有を目的とする地上権と認めるを相当とする(なお、時効により地上権を取得することは、原始的に取得することであるから、前認定のごとく、地上権に相当する客観的事実が存在し、かかる事実をそれに相当する権利に高めるに足る事情があれば、地上権の時効取得は可能であり、右時効取得の前提として、すでに他人の地上権が成立していることは必要でないと解する)。

そして、被告ら(ただし、被告浜原杢太郎を除く。)は、その主張自体からして、原告が右立木所有権および地上権を取得したことにつき有効な公示方法を欠いていること(このことは、弁論の全趣旨により、当事者間に争いがないと認められる。を主張する正当な利益を有する第三者に当らないことが明らかであるから、原告は右被告らに対して、前記立木所有権および地上権を時効取得したことを対抗できるものである。

つぎに、検証の結果によれば、本件各土地の一部には、原告が前記所有権を取得した杉等の立木以外のものと認められる杉の幼木が存在することが認められるところ、(証拠)によれば、右杉の幼木は、原告が昭和二五年一二月頃、植林補助金を得て構えつけたものであることが認められるので、右杉の幼木は、すべて原告が前記地上権に基き本件各土地の一部に植えつけたもので、もとより原告の所有であるというべきであり、前記検証の結果と弁論の全趣旨によれば、本件各土地上には他に原告の所有に属さない立木は存在しないと認められる。

以上のとおりであるから、原告と原告の右立木所有権および地上権の存在を争つている被告ら(ただし、被告浜原杢太郎を除く。)との間で、原告が本件各土地上のすべての立木の所有権を有することおよび原告が右各土地につき地上権を有することの確認を求める原告の請求は、理由ありとしてこれを認容すべきである。

三、前項において説示したところから明らかなように、原告は、本件各土地につき地上権の設定登記手続を求める権利を有するところ、原告において、右登記義務は右各土地の所有者たる被告日島村が負担すべきものであると主張し、同被告においてこれを争うので判断するに、(証拠)によれば、本件各土地は、いずれも長崎地方法務局若松出張所昭和三年四月一七月受付第一九三号をもつて、南松浦郡日島村(後に若松町と変更)間伏郷のため所有権保存登記がされ、その後における右所有権の移転登記は存在しないことが認められる。原告は、右間伏郷は右日島村内の一部落(大字)にすぎないから、部落所有が法律上認められなくなつた結果、本件各土地は当然右部落の属する地方公共団体たる被告日島村の所有に帰したのであり、右登記名義もその旨変更さるべきであると主張するが、一村内の部落であつてもそれが財産を有する場合には、その部落は地方自治法に定める特別地方公共団体たる財産区に属し、独立の法人格(財産所有能力)を有するものであつて、右財産区は、旧市制町村制(明治四四年法律第六八、六九号)においても、「市町村の一部」と呼ばれて独立の法人格(財産所有能力)を認められてきたものであるから右日島村内の一部落たる前記間伏郷が法人格(財産所有能力)を有する余地がないとして、本件各土地は右間伏郷の所有たり得ないという原告の主張は、とうていこれを採用することができない。

よつて進んで判断するに、(証拠)に弁論の全趣旨を綜合すれば、つぎの各事実が認められる。

(1)  前記間伏郷保存の「旧記」によれば、間伏郷四九六番字白岩の山林四町五反歩は、昔時藩主より同郷滝ケ原および石司の地方百姓に与えられた旨の記載があること。

(2)  右滝ケ原および石司住民は、右山林につき入会権を行使していたが、明治三〇年頃、右山林内に無断植杉をしていた他部落民の非をとがめ、詫証文を差し入れさせたこと。

(3)  ところで、前記日島村長は、明治三二年九月一一日、右滝ケ原および石司住民が従来有していた間伏郷有山林の入会権を、同郷間伏、鵜の瀬、堤、筒の浦を含む同郷住民の全部において共有する旨の議案を同村議会に提出し、同議会は、翌一二日、原案どおりこれを決議するに至つたけれども、この決議に対しては右滝ケ原および石司住民が強い不満を表明したこと。

(4)  その後、右間伏郷内の山林につき右滝ケ原住民と間伏住民の間で入会権の帰属が争われたが、大正七年七月一三日に至り、前記間伏郷内の六部落間において、(イ)間伏郷持に属する山林、原野、畑宅地一切は、従来の慣行により各部落に使用区域が定められているところにしたがい使用収益すること。(ロ)右使用区域にかかる公課一切は、各持分に応じてその部落が分担すること。(ハ)滝ケ原住民は、その有する字白岩四町五反歩を間伏住民に使用収益の権利全部を永遠に譲渡すること。等の条項を含む主として入会権に関する協定が成立して現在に至つていること。

(5)  前記日島村内には、本件各土地以外にも前記間伏郷所有名義の土地が現存すること。

そこで、以上認定の各事実に前記旧制町村制施行中の昭和三年に本件土地がいずれも日島村間伏郷の所有として登記されている事実をあわせ考察すれば、他に特段の事由のない本件においては、前記日島村間伏郷は、右市制町村制施行中から現在に至るまで、前記「市町村の一部」または財産区として独立の法人格(財産所有能力)を有しているものであり(ただ、同郷に固有の議決機関があるとは認められないので、その権能は、同郷の属する日島村の議会がこれを行使することとなる。)、本件各土地は、おそくとも前記登記時たる昭和三四年四月一七日頃から現在に至るまで、右日島村間伏郷の所有に属しているものと認めるを相当とする。

もつとも、乙第一四号証の二を見れば、「日島村間伏郷四九六番字白岩山林四町五反歩は土地台帳に間伏郷の所有と記載されているが、これは誤りであつて水本久吉外三三名の所有地であるから、その旨訂正されても間伏郷民において異議がないとの決議をした。」旨の記載があるけれども、右書面がその作成名義人たる山口好五郎らにより真正に作成されたと確認し得る証拠がないのみならず、かりに真正に作成されたとしても、その作成日付たる明治二七年一〇月一五日以後右の趣旨にそう名義訂正がされた形跡なく、かえつて前認定のごとく、本件各土地は、昭和三年に前記間伏郷の所有として登記されているのであるから、右乙第一四号証の二は採用し難く、他に前認定を覆えし、本件各土地が右間伏郷以外のものの所有に属することを認めるに足る証拠はない。

してみれば、被告日島村は、原告のため前記地上権の設定登記手続をすべき義務を負わないものであるから、同被告に対し右義務の履行を求める原告の請求は、理由なしとしてこれを棄却すべきである。

四、そこで進んで、被告日島村、同浜原杢太郎を除くその余の被告ら(以下単に被告山村寿美衛外一八名と略称する。)に対する原告の損害賠償請求の当否について判断するに、(証拠)を綜合すれば、つぎの各事実が認められる。

(1)  原告は、昭和二九年一〇月頃、本件各土地の一部に生立していた松立木を伐採したこと。

(2)  その頃、前記間伏郷間伏の駐在員であつた被告山口浪平方で間伏部落民の会合が開かれた際、その席上において被告山口嘉市が前記松立木を伐採したのは誰かと発言したのに対し、原告の妻山口ヨシが原告において自ら植えたものを伐採したにすぎないと言明したので、本件各土地上の立木の所有権をめぐり議論がかわされたこと。

(3)  そのようなことのあつた後の同月一七日、被告山村寿美衛外一八名のうち被告山村ツマ、同山口一次を除くその余の被告らは、被告山村謙治方において前同様の会合を開いたが、その際右会合に出席せんとした前記山口ヨシに対しては、君達の来る席ではないと申し渡し、結局右被告らのみで本件土地上の杉立木を伐採して医者の誘致資金にあてることを決議したこと。

(4)  そこで右決議に基き、被告山村寿美衛において、同月一九日付内容証明郵便をもつて原告に対し、右決議のとおり本件各土地の一部に生立する杉立木を伐採処分する旨通告した後、翌二〇日、被告山村寿美衛外九名余は、右会合の後右決議に賛同の意を表明した被告山村ツマと共に(ただし、同被告は、身体の具合が悪くて途中から引き返した。)、本件各土地のうち別紙物件目録第二の土地一反歩に赴き、同所に生立していた杉立木一六三本(すくなくとも一五五・五六石)を伐採したこと。

(5)  右伐採時における杉立木の価格は、一石当り一、三〇〇円を下らないこと。

つぎに、(証拠)に弁論の全趣旨を綜合すれば、原告は、昭和三〇年六月二二日頃、右被告らにより伐採されたままその現場に放置されていた杉立木全部を、訴外増田卯一郎に対し代金二〇〇、〇〇〇円で売却し、同訴外人において、その搬出にとりかかつたところ、被告山村寿美衛らによりその搬出を差し止められたので、右原告と増田間の売買契約は解除のやむなきに至つたことが認められる。

しかして、被告山村寿美衛外一八名が、同年七月四日、当裁判所に対し原告を相手方として、右伐採木の処分禁止、執行吏保管の仮処分申請をし、同月六日これを認容する旨の決定を得た上、同年一一月二日、当裁判所に対し右伐採木の換価命令申立をし、その旨の命令を得て執行吏をしてこれを競売処分に付せしめたことは、すべて当事者間に争いがないところ、右伐採木が当時すでに原告の所有に帰していたことは、さきに説示したとおりであり、前認定の各事実に弁論の全趣旨を綜合すれば、被告山村寿美衛外一八名は、前記伐採決議前すでに原告が本件各土地上の杉等の立木の所有権を主張していたことを知悉していたのみならず、昭和二九年一一月には原告において、右被告らおよび被告日島村を相手取り、本件各土地上の杉等の立木が原告の所有に属すること等の確認等を求めて当裁判所に訴訟を提起し、同訴訟はなお係属中であつたと認められるので、裁判その他正当な方法によりその所有権の帰属を確認することなく、たやすく原告の前記杉立木の所有権を否定し、その伐採を決議して伐採し、かつ、右伐採木を他に売却せんとした原告を相手取り、前記仮処分申請および換価命令申立をして、これを競売処分に付せしめた被告山村寿美衛外一八名は、他に特段の事情の認められない本件において、すくなくとも過失により共同して原告の前記杉立木一六三本の所有権を侵害したものというべきである。

してみれば、右被告ら一九名は、共同不法行為者として、右により原告に生じた損害を賠償すべき義務あるものであること明らかであるところ、前認定の事実によれば、他に特段の事情のないかぎり、原告は、右被告らの共同不法行為により原告主張のごとく、すくなくとも前記伐採木の時価合計二〇二、二二八円の損害を蒙つたといわなければならない。

ところで、右被告らは、前記伐採の上競売処分に付された杉立木の競売代金は二一三、六〇〇円であり、その執行費用は四、四九四円であるので、右代金から費用を控除した二〇九、一〇六円が昭和三一年三月一九日付で供託されている旨主張し、右主張事実はすべて原告の認めるところであるので、前記原告所有の伐採木は、その同一性を失うことなく右供託金に化体したものと解するを相当とし、したがつて、右供託金は、他に特段の事情の認められない本件において、すべて原告に帰属すべきものというべきであるところ、右供託金の額が原告主張の前記損害額をこえる本件においては、原告は右伐採木の所有権侵害にもかかわらず、その時価相当額の損害を蒙つたとはいえないといわざるを得ない。

右のとおりであるから、被告山村寿美衛外一八名に対し、その共同不法行為を理由として損害の賠償を求める原告の請求は、すべて理由なしとしてこれを棄却すべきである。

五、最後に、被告山村寿美衛、同山口義美、同山口熊三郎、同太田豊、同太田村次、同吉村伊佐夫、同浜原杢太郎(以下単に被告山村寿美衛外六名と略称する。)に対する原告の損害賠償請求の当否について判断するに、(証拠)を綜合すれば、つぎの各事実が認められる。

(1)  昭和三一年の第一二号台風により、本件各土地のうち別紙物件目録第三の土地三畝歩内に生立していた杉立木が若干倒れたので、被告山村寿美衛外六名のうち被告山口義美、同浜原杢太郎を除くその余の被告らは、昭和三一年一〇月四日、被告山口春夫方で開催された間伏部落協議会において、右土地三畝歩内の杉立木二二本その他を公売入札に付する旨決議し、同決議に基いて、同年一〇月二四日、被告太田村次方で公売入札が行われ、最高価入札の被告浜原杢太郎が二五、五〇〇円で落札したこと。

(2)  その後一週間位して、被告浜原杢太郎の調査の結果、右土地三畝歩内には右二二本の外になお一二本位の杉立木が存在していることが判明したので、その頃同被告の買受申出により、被告山村寿美衛らにおいて、前記決議の趣旨に則りこれを一〇、〇〇〇円で売却したこと。

(3)  そこで、被告浜原杢太郎は、右買い受けた杉立木全部を訴外野母三太郎に譲渡し、同訴外人において昭和三二年二月七日にこれらを伐採し、いずこかえ搬出したこと。

(4)  右伐採搬出された杉立木は、正確に数えると三三本であり、そのうち二四本(二九石余)が健全木で、九本(一八石余)が風倒木であること。

(5)  右伐採搬出時における健全木の価格は、一石当り二、一五〇円を下らず、風倒木の価格は、一石当り一、八〇〇円を下らないこと。

(6)  なお、被告山口義美は、前記売却決議には加わらなかつたが、右決議に基く公売に際しては、二四、八〇〇円の入札をしたこと。

ところで、右売却伐採搬出された杉立木が当時すでに原告の所有に帰していたことは、さきに説示したとおりであるところ、右認定の事実に弁論の全趣旨を綜合すれば、前記売却決議当時、原告は前記被告山村寿美衛外一八名および被告日島村を相手取り、本件土地上の杉等の立木が原告の所有に属すること等の確認等を求めて当裁判所に訴訟を提起し、同訴訟はなお係属中であつたことが明らかであるから、右訴訟の終結をまたず、たやすく原告の前記杉立木の所有権を否定し、その売却を決議して売却した山村寿美衛外六名のうち被告山口義美、同浜原杢太郎を除くその余の被告らは、他に特段の事件の認められない本件において、すくなくとも過失により共同して原告の前記杉立木三三本の所有を侵害したものというべく、また以上認定の事実よりすれば、被告山口義美も、右原告の提起した訴訟の被告となつていながら、あえて右被告らのした売却決議による公売に入札して、同決議に賛同の意を表明したものと認められるので、すくなくとも過失により右被告らと共同して原告の右杉立木三三本の所有権を侵害したものというべきである。しかしながら、被告浜原杢太郎が前認定のごとく杉立木三三本を買い受けることにより、右杉立木に対する原告の所有権を侵害することを意識していたことはもとより、相当の注意を払えばこれを意識すべかりしであつたことは、原告本人尋問の結果(第二回)によるもこれを認めるに足らず、他にこれを認め得る証拠はない。

してみれば、右被告山村寿美衛外五名(被告浜原杢太郎を除く。)は、共同不法行為者として、右によつて原告に生じた損害を賠償すべきものであるところ、前認定の事実によれば、原告は、右被告ら六名の共同不法行為により、前記杉立木三三本の所有権を喪失したものというべきであるから、右共同不法行為により原告は、右杉立木三三本の伐採搬出時における合計価格に相当する損害を蒙つたこと明らかであり、右合計価格を前認定の事実に基き計算すればすくなくとも九四、七五〇円となる。

よつて、右被告ら六名に対し、右損害額九四、七五〇円およびこれに対する同被告らに対し昭和三二年(ワ)第一〇一号事件の訴状が全部送達された日の翌日たること本件記録上明白な昭和三二年四月九日から右支払いずみまで、民法の定める年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める原告の請求は理由ありとしてこれを認容すべきであるが、被告浜原杢太郎に対し右同様の支払を求める原告の請求は、理由なしとしてこれを棄却すべきである。

六、以上のとおりであるから、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項ただし書、第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

長崎地方裁判所第二民事部

裁判長裁判官 高 次 三 吉

裁判官 粕 谷 俊 治

裁判官 谷 水  央

(別紙)(省略)

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